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ノーマライゼーションの生みの親、”バンク・ミケルセン”

ノーマライゼーションの生みの親、”バンク・ミケルセン”

デンマークの社会運動家でノーマライゼーションの提唱者「バンク・ミケルセン」を知っておきましょう。



目次

  1. ノーマライゼーションの生みの親「バンク・ミケルセン」とは?
  2. ノーマライゼーションは本当は必要ない考え方?
  3. ノーマライゼーションの始まり
  4. たゆまぬ努力でバンク・ミケルセンは「ノーマライゼーションの父」となった
  5. バンク・ミケルセンはナチスの強制収容所で収容されていた
  6. 障害者は特別ではない!バンク・ミケルセンの2つの主張
  7. まとめ



ノーマライゼーションの生みの親「バンク・ミケルセン」とは?

バンク・ミケルセンはデンマークの社会運動家で、ノーマライゼーションを提唱し、社会省の行政官として知的障害者の福祉向上に尽力した人物です。

「ノーマライゼーション」は弱者を社会的に保護する仕組みのことで、障害者が一般市民と同じように普通の生活を送り、同様の権利が保障されるように環境整備を目指す理念です。


ノーマライゼーションは本当は必要ない考え方?

「ノーマライゼーション」は一見素晴らしい理念に聞こえますが、逆にいえば、本来はこのような思想は生まれる必要はないという声もあります。

というのは、「障害者が一般市民と同じように普通の生活を送り、同様の権利が保障されるように」ということは、現在は障害を持つ人は一般市民と同じような生活を送れていないことを露呈しているためです。


ノーマライゼーションの始まり

ノーマライゼーションは1951年にデンマークで結成された知的障害者の「親の会」が起源と言われています。


デンマークでの知的障害者の処遇は1855年に始められましたが、初期は「隔離」や「保護」など、特別扱いの印象が強くありました。

1500以上のベッドがある巨大施設が建てられ、子供を含む、たくさんの知的障害者がその施設に詰め込んまれていました。


この扱いは「非人間的処遇」とすら言われていました。


たゆまぬ努力でバンク・ミケルセンは「ノーマライゼーションの父」となった

このような背景があり、2年後の1953年に「親の会」はデンマークの福祉サービス行政の中心である社会問題省に、様々な要求を盛り込んだ覚書を送ったのです。

この覚書に「ノーマライゼーション」の理念が書かれていました。


この「親の会」の要望を受けた社会問題省では、「知的障害者に関する福祉政策委員会」が設置され、討議が重ねられました。

このときに「知的障害者に関する福祉政策委員会」の委員長を務め、社会問題省の官僚として「親の会」の切実なおもいを法律の中に反映させようと努力したのがバンク・ミケルセンです。

たゆまぬ努力を続けたことから、バンク・ミケルセンは「ノーマライゼーションの父」と呼ばれるようになったのです。


バンク・ミケルセンはナチスの強制収容所で収容されていた

実は、バンク・ミケルセンが巨大施設で隔離された知的障害者に対して違和感を感じたのには、ナチスの強制収容所に収容されていた経験が関係しています。

巨大施設から自由に外出できず、食べるのも寝るのも常に団体行動で制限された生活は、まさにナチスの強制収容所での生活を彷彿させるものだったのです。


障害者は特別ではない!バンク・ミケルセンの2つの主張

バンク・ミケルセンには2つの主張があります。

 

1、障害者は他の市民と平等の存在であること

2、障害者は他の市民と同じ一般法で援助されるべきであること

 

バンク・ミケルセンは、障害を持つ人が「特別な存在」として扱われ、そのために「特別な制度や施設」を提供するから、隔離や保護の処遇を受けざるを得なくなることを指摘しました。


つまり、障害者に対する「専用思想」から脱却することでノーマライゼーションは広がることを主張したのです。

障害を持つ人の「特別の専門的なサービスを受ける権利」を否定するのではなく、特別な配慮が必要なことは特別な施策や制度で障碍者を囲い込むことではないことをアピールし、障害者は一般市民と同じ人間であると主張したのです。


まとめ

今回はノーマライゼーションの父「バンク・ミケルセン」についてご紹介しました。

ナチスの強制収容所に収容されていた経験を経て、今から約70年も前からこのような主張を展開していたバンク・ミケルセンに対する反対派からの風当たりは強かったことでしょう。

しかし、それに屈せずノーマライゼーションの必要性を訴え続けたからこそ、現代にも必要な考えとして世界に広まり続けているのでしょう。